女川を経て、三陸金華山へ。

honest152014-04-29

クラス仲間と会津若松で別れ、仙台経由で石巻、女川、金華山へ向かう。
恥ずかしながら東北震災へ向かうのは初めて。
ボランティアもせず、時に寄金してるくらいの自分。
三陸金華山黄金神社の震災レポートを読んでて、同じ名前の岐阜の金華山
住む者として、共鳴共感しようと行くことにした。


石巻までは、電車では不便なので高速バスで向かう。
石巻から女川までの電車まで時間があったので、日和山へ。
高台の日和山は、桜が満開。
津波の塩水にやられなかった。
見下ろすと、更地のかさ上げがされていたが、前あった工場はまだない。

石巻から電車で女川一駅手前の浦宿へ。
船乗り場までは、歩くのは遠く、タクシーで向かう。
乗り場には、食べ物も売ってないらしく、途中コンビニでおにぎりを買う。
船乗り場は、桟橋だけかさ上げして、接岸できるようになった。
周りは、5mまでかさあげするという復興作業が行われていた。
金華山までは、40人位乗れる船に今回は、10人が乗船。


金華山へ着くまでの35分間。
船長が、震災時の状況を説明してくれた。
3月11日、いつものように船の上にいたら、まわりの山が崩れ始め、
あちこちで砂嵐が起こった。
これは、大変だと一時、港に向かったが、津波が来ると察知して、
沖出しした。水深40mの処まで行けば津波にも対応できると信じて。
沖合に高さ40m程の無人島が消える位の津波が来た。
後ろを見ると、何隻かの漁船が転覆してたけど、助けられず。
その時の情報では、女川町は壊滅状態。
で覚悟して、そのご3日間、沖合に漂っていた。
港からは、最初軽い発砲スティロール、次に冷蔵庫、洗濯機、さらには
家が流れてきた。
3日後に陸にあがったが、当然自分の家はなくなっていた。
皆駄目かと思ったが、おじいさんが高台の避難所に行け、と言ってくれた。
避難所では、役所の人が頑張って、避難してる名簿と、場所を張り出していた。
それで家族とも再会できた。


金華山に着いた。
名前に惹かれてきたここは、黄金神社として、東北の人の参拝が多い。
どうも”お金”もうけとか、不浄なお金を清めるといったことでの
ご利益があると信じられている。
ここも震源地に、一番近く、道路が決壊するなど大きな被害を受けたけど、
本堂は無事だったそうだ。昔の宮大工は、凄い。
この山には、自然、動物が、あるがままで残されている。
鹿があちこちにいて、草場はフンだらけ。
この山でも桜が満開。
平和な風景の、あちこちに傷痕があった。。[


帰りの船からは、女川原発が見えた。
17mの津波があった女川で、ここの原発が無事だったのは、何故か?
高台にあったことも一因だが、もっと基本的な東北電力の姿勢にあったようだ。
あちこちの諸々の事故、災害を検証して、補強をしてきた。
東京電力が国策会社だというあぐらの上に座って、安全性を疎かにしてきたのに
反して、真面目に地域との共存を考えた姿勢が、無事だった要因でもある。
福島原発災害は、やはり人災だったと、強く思った。
震災時、300人もの避難者を、ここの女川発電所へ迎え入れた、のも驚き。
女川原発を横目に見て、1kmも離れていない処に、海上保安庁の船が。
365日24時間、原発の警護にあたってるという。
びっくり。

こんな対応までしてるんだ。
一体全体原子力発電は、こういった間接コストを、どこまで計算してるのか?


船の上からタクシーを呼んで、石巻へ向かう。
タクシー会社の売上の95%が、女川原発関係者だと。
石巻と違って、大きな会社もなくて、復興までは厳しい道のりだと。
あわびの養殖をやってたけど、やっと再開したけど、商品化できるまで、3,4年
はかかる。億という金がかかる。
途中に高政というかまぼこ屋で、ささやかにでもと、かまぼこを買う。
自分ができる事は、少ないけど、せめてこうやって記して、このゴールデンウイーク
に女川へ足を運んで体感、サポートしていただける人が増えればと思います。