我が内なる”ダ・ヴィンチ・コード”

honest152006-05-15

世は正に、ダビンチブーム。
私もダビンチに凝った時期がある。
1989年に開催された「世界デザイン博」。
その計画作業、中味作りに深く関わった。
タイトルは「世界デザイン博」となったが、
心は”名古屋オリンピック招致失敗”後の
沈滞した名古屋を、どう活性化させるか、だった。


私の内なるコンセプトは、”名古屋ルネッサンス”だった。
沈滞した街、産業寄りに寄り過ぎてる社会構造。
産業も技術も、感性も芸術も心もバランスの取れた街にならないものか?
江戸時代には、”からくり”を創った。
文化軸としては、からくり人形や、山車からくりに行き。
産業軸では、ぜんまい時計、織機、工作機械へ行った。


産業軸は、その後どんどん智恵を出し、技術改革し、自動車に代表される
”物作り”の地域になった。
文化軸は、それに反して、相変わらず。文化としての進歩を遂げていない。
20年前位は、当地域は、日本の工場地帯とも揶揄された。
今は、不況のお陰で、”物作りの街”になったが。


産業軸だけでなく、文化軸も進化したバランスの良い街創りの提唱の場として、
名古屋ルネッサンスが隠し味として起爆できるシンボルとして、
レオナルド・ダビンチを考えた。
彼は、科学・芸術の天才であり、バランスの取れた街創りの理想像だった。
”からくり”を創った街には、ダビンチが相応しかった。


そこからが制作部隊が苦吟した。尊敬する先輩のKさんは、東北大学の田中教授と
相談して、ダビンチも完成できなかった”幻の騎馬像”を創る事になった。
天才ダビンチが完成できなかった片足を高く上げる計算を発見し、
彼らは東京芸大の力も借り、完成した。
今、その騎馬像は、名古屋の國際会議場に移設されて、我々を迎えてくれる。


隠し味として、動かそうとした名古屋ルネッサンスは、思い通りににはいってない。
いまだに”物作りの街”を目指してるように見える。
もうそれではやってけない時代がきてるのに。
金型で作る物だけでなく、コンテンツという”モノ”も創れる技術・産業と、
芸術・デザイン・文化という感性にも優れた街="モノ創り" の街を目指せと言いたい。