トンネルを過ぎると、そこは青春時代だった??

honest152006-09-24

高校の年次同窓会があった。
家から会場まで行くのに、バスの時間が合わず
いい天気だから歩いて行く事にした。
コスモスが咲いてたり、稲穂が頭を垂れ始めたのを
眺めながら、鶯谷トンネルを、徒歩で渡り始めた。
車がびゅんびゅん来るので、怖いし、排気ガスもあるし、
結構長い。 早足で歩いて随分来たなと思っても、入ってきた処から125m、
出口まで525mとある。
650mのトンネル。歩いてる人には出会わない。
出口近くで、自転車1台、歩いてくる人1人に会った程度。
排気ガスは83台分吸った。


トンネルをでると、向こう側を歩いてたおばあちゃんに、「金華山はどの道登るのか?」
と聞かれたり、
自転車乗りのおばちゃん二人連れに、「このトンネル、自転車で渡れますか?」
と聞かれたりした。
 歩いてると、この町内の物知りみたいに見えるらしい。


同窓会場について、クラス幹事だから受付でもするのかなと思ったら、5クラスまとめて受付をしてたので、
何も手伝わないで、ぶらぶら来る奴の顔を見てた。殆どわからない顔。
それでも自分のクラス9組の人間が来て、名札をつけて、お互いに、やあやあと、
昔のイメージを探し始める。この瞬間が面白いね。イメージあわせしようにも、合わない人がいる。


右隣に座った男が、舌ガンにかかった話を始めた。5年過ぎるとセーフだと言われてて、もうすぐ5年だと。
死を意識した男のせいか、同級生で亡くなった男の奥さん(同級生結婚)に話しかけに行ってた。
左隣の男は、今通信教育で法律の勉強してると。もう2年になる。
シニアに厳しい時代が来そうだから、法律で武装するんだと。
憲法第9条についても、議論がはずみ、日本国憲法を守らなければいけないと、一致した。


親父さんの鉄工所を継いだ男が、路線を変更して鍛造中心の加工技術を武器に成功した。
その男が書いた本「あなを大切に」を持って、本人のサインが欲しいと、他のクラスの奴がきた。
でも、成功した男は体調が悪くて来れなかった。
珍しく女性が近づいてきた。ポルトガル行ったり、ドイツ行ったりした話しと、
オーストラリアで3ヶ月日本語を教えてた、と。


ネクタイを締めた男は少ないし、久しぶりに締めた感じの男が多い中、洒落た着こなしの男が現れた。
一度、ゴルフ会で一緒した。40年間アメリカにいる。デラウエアに住んでる。
子供は3人、ハーフ。彼自身がバタ臭くなっていた。
来れない人からも葉書が届いてた。
失明して、外に出れないので欠席する人。医学学会があって、でれない人。
鉄鋼会社の社長になったのもいる。大学の先生もいてた。定年はいつか、と聞くと。65歳だそうだ。
裏金で話題の岐阜県職員関係は誰も来なかった。つらいのかな?
クラスで、それでも二人亡くなっていた。
まあ出席してる人は元気なんだ。
気持ちが青春時代に戻るかとおもったけど、それも一瞬。
やはり今の時代でのクラスメート交流だった。