歴史博物館で、初のボランティアをやった。

honest152008-04-03

4月から岐阜歴史博物館のボランティアをやる。
どうせやるなら、早くやってみようと
4月2日の午後から出かけた。
要領がわからんけど、とりあえずボランティア室へ。
中にいる人に向かって、挨拶をした。
今日初めてです、よろしく、と。
中に居た人が、今日は二人しかボランティアがいないと。
あらまあ、今日は何もわからんから、金魚の糞をやろうと思ったのに。


最初の30分は、午前のボランティアもいたけど、すぐいなくなった。
子供達が来て、体験コーナーで縄文の模様を作ろうとしてる。
まあこれならいいかと、お手伝いをする。
その内、浮世絵の重ね刷りなんかも手伝ったりして、
少し馴れてきた。
そこへ、おじいさんが一人。
「わしは、鏡をもってるんじゃが、、」
どうやら鉄の鏡を持ってるので、どの時代の物か調べて貰いたいらしい。
博物館の人が、丁度来たので、繋ぐ。


子供づれのお母さん、お父さんが多い。
シニアは、一人が多い。
お母さん二人と、子供二人が来て、服を着たいと言う。
要は、戦国時代の武将とお姫様の服を着せるコーナーがあって、そこで着たい、と。
人手が足りなくて、今日はそこは閉まってたのだが、先輩ボランティアに聞くと、
職員を呼べば、といい呼んでくれた。
7歳の男の子は、龍之介という立派な名前。
その名前のせいか、武将の格好がしたかったらしい。
中々立派に着せる事ができた。
女の子は、ももかちゃん。
恥ずかしそうに、お姫様風に着物を、女性職員が着せていた。


この着物着せる界隈は、楽市楽座になっている。
パネルを読んでると、信長が岐阜攻めで、街が荒れた。
それを復興させようと、中心地から2km程離れた処に、楽市楽座を作った、という。
街の再生のための、復興事業でやったらしい。
知らなかった。
今の為政者に教えてやりたいね。


楽市楽座の前に、男の子が来て、話しかけてきた。
金華山の馬の背を歩いてたら、土器らしき物を見つけた。掘り起こしてみたら
やっぱり土器らしい。見てもらえるだろうか」
父親は、やめとけ、と言ったらしいけど、本人納得せず。
小学校5年生で、自分で図書館に行って、歴史を調べてる。
えらいなー。
今度持ってきて、学芸員に調べてもらう事になった。
こういう知識欲のある子は、大切にしないと。


4時になって、この日のボランティアは終わった。
金魚の糞にもなれず、ちゃんとパネルの説明は出来ず、
体験コーナーのお手伝い位しか出来なかったけど、腰がくたびれた。
外に出たら、そこは満開の桜が咲いてる岐阜公園
足を伸ばして、長良川堤の満開の桜を見て、初のボランティアは終わった。