ナイトスクールへ

honest152008-11-16

16夜の一昨日、大学へ。
普通は朝の授業だけど、生徒の都合で夜に変更。
6時からの授業へ歩く構内は、静かで暗い。
落ち葉の上を歩いて行く。
夜空は、満月のあくる日。
ほぼ真ん丸の月が、元気に輝いてる。
夜の大学の雰囲気も、中々いい。


授業が始まる。
今日は、もう一人の社会人学生のレポーティング。
テーマは「反合意体としての都市」
えらく難しく、わかりにくい。
都市が合意を得るための手法を示してるのかなー?
合意を得るための手法として、二つの考え方を示している。
一つは、コミュニケーション的合意主義。
もう一つは、多元主義
両方とも、合意は妥協で成り立つという事を前提としている。


まあ国、自治体が何かしたいときは、委員会を作り、議論し考え方をまとめ、
その案を市民公開し、公聴し、まとめるというプロセスをとる。
意見を聞いて、最初の方針を変える場合もあるが、大体変えない。
プロセスを経たから、当初の方針でいいだろうという事が多い。
長良川河口堰の議論でも、結局最初の方針通り押し切られた。
国交省は、何がなんでも作るというスタンス。
反対派は、技術論と論理で説いたが、両者の議論はかみ合わなかった。
同じ土壌の上での、議論から合意というプロセスは、行われていない。


卑近な例でも、道の名前を、知らない内に変えている。
空襲にあった岐阜市の駅前大通。
終戦直後は、”平和通り”と名前を変えた。
戦前は、”凱旋通り”。
それが、今では”金華橋通り”、要は橋の名前で、統一しようと、
長良橋通り、忠節橋通り、と便利さ中心で名前を変えてしまった。
折角”凱旋”から”平和”という敗戦と平和を歴史的に考えれる名前を放擲してしまった。
機能中心の町づくりでは、心の襞が揺れ動かない。
無味乾燥の名前変更。
こういった変更は、市民の合意が要る筈なのに、
合意のプロセスは見えなかった。


合意プロセスに参加していかないと、勝手な世界が作られていってしまう。
そんな議論を、夜の大学で議論していた。
それにしても月は、世界中同じに見える。
貴重な存在だ。