万博も駅伝のようなもの。

honest152005-09-14

名古屋オリンピック招致失敗からくすぶり続けた
当地区の活性化の方向が、万博誘致でまとまり
動き出したのが約10数年前。
誘致決定が1997年、8年前になる。
決定の瞬間、観光ホテルで立ち会ってた。
バーデンバーデンで、”ソウル”とのひと声が想い起こされた。


協会が出来てからも、オオタカの営巣が見つかったり、
しでこぶしを守れ、という環境保護の動きが活発になった。
当時海上の森での会場計画は、約2000万人を見込むものだった。
新住宅計画が跡地としては計画されていた。
有識者で検討会議が重ねられ、海上の森は一部使用に、住宅はなくなった。
メインは、青少年公園となった。


その頃海上の森を2時間程かけて、散策した。
戦後の貧しい時代、山は薪を取りにくる人で禿山になり、
その後植林などで、蘇った。
ある意味では、日本のどこにでもある雑木林。
普段着の里山
しでこぶしが綺麗だった。


昨日久しぶりに瀬戸市へ行った。
大混雑の万博会場と違って、街はのどかだった。
万博の最初は、ここから始まったという感じのポスターが目についた。
その頃の事を知らない人達も、万博に参画し、
最後のテープを切ろうとしてる。
色々の山を乗り越え、たすきを渡しの長い駅伝だった。
後少しだ。