清水市が無くなってた。

honest152005-10-01

お袋の妹にあたる人が心筋梗塞で亡くなった。
8月に娘さんと二人で元気に万博に来てくれた。
旅行が好きで、海外へも何度も出かけてたそうだ。
株で旅行資金を作ってる逞しい叔母さんだった。


お袋の実家は清水市で、子供の時以来の訪問。
今や静岡市清水区という。馴染まないなー。
タクシーの運転手の話では、最初新幹線の駅も、清水に出きる事になってたそうだ。
地元民がもっと土地価格が上げれると、反対したので静岡になった、と言っていた。


駅を降り、商店街を歩いて見る。アーケードはあるが寂しい。
自分の故郷、柳ヶ瀬も寂しくなったが、似たような感じ。
清水の商店街のアーケードには、地元の清水エスパルスの垂れ幕が懸かってた。
岐阜より応援する物を持ってるだけ、まだましかもしれない。


それにしても、市の合併とか、町の名前変更とか、役人は勝手に変えすぎる。
歴史とか、物語、メモリーとかの積み重ねを、いとも簡単に割り切ってしまう。
清水の次郎長”はこの先どうなってしまう?
清水エスパルス”もどうなる?


空襲を受けた町は多い。岐阜も清水も受けた。
岐阜は2度と空襲を受けない町として、駅の前のメイン通りを、
”平和通り”と名づけた。
それが観光客にわかりにくいと、”金華橋通り”と変わってしまった。
誰だ、そんな名に変えた奴は。