【特別寄稿第3弾】J/24世界選手権大会出場記録③

honest152006-02-04

1月21日(土)
世界選手権出場記念(ナヌ?)に全員でゴルフを9ホールプレー。カモノハシのいる動物園の北隣。鉄道がコースを横切るなかなかユニークなパブリックコース「ロイヤル・パーク・パブリック・ゴルフコース」はフラットで初心者むき、市民が三々五々気軽にプレーしていて、ド初心者含みのわれらがパーティも気軽にラウンドできた。初ラウンドのMM君は病みつきに成りそう、とのこと。同じく初ラウンドのM君とともに相当苦労したにも拘わらず。
ダウンタウンでの昼食後、K艇長は例の如く単独行動、小生・T君・MMは水族館へ(小生現在水族館も研究中)、U・T君・Tは宿に戻る。なんとバラバラなチームであることよ(溜息!)。


夕刻、ドックランドでボルボオーシャンレースのイベントが大々的に行われるので是非参加をと、またパーティにも出る事が出来るとサンドリンガム・ヨットクラブ会長からのお誘いもあり、期待に胸を膨らませ行くも、夕刻までで既に終了、正確な情報入手は難しい、残念!ただ、ボルボ出場艇の大きさ、迫力に圧倒され、感動。


メルボルン市内、夏休みのなかでも最盛期のようで、ドックランドも超満員、オイスターバーも満員、街中ひとだらけ。仕方なくリバーと言うセカンドクラスのレストランでシーフードに挑戦。生牡蠣を期待したが火を通した立派な料理が出てきて全員唖然。ウエイティングバーで英国からのチームと遭遇、覚えていてくれてエールの交換をする。メルボルン最後の夜を満喫。
宿へ帰ってから延々とお土産の仕分けとパッキング作業で夜もふける。


1月22日(日)
2時間睡眠で5時50分宿を出発。空港へ。M君の見送りで機中へ。2時間の香港とランジェットを経てセントレアへ無事帰還。ジャンボタクシーでK邸・T邸・小生邸・T君邸を経由してU邸へ。
今回の旅は終始ついていたが、日本は大寒波で関空、成田とも雪でクローズ。セントレアだけが生きていた。


振り返れば・ 
本当に面白かった!心身ともに生き返った10日間であった。(もっとも2日間でもとに戻ったが)
・ 所期の目的どおり全員無事で帰国でき、また全レース完走でき、さらにドベを免れ、本当に大成功!「狂喜・狂喜・狂喜」
・ 厳しいレースのあとに、若い2人のメンバーから、「強風と荒波の中で人生を考えた」とぼそぼそと言った。意味は詳しくは聞かなかったが、なかなか重い言い方で、それだけでも今回の意義があったのでは、と感じた。
・10日間連続で会社を休んだ事の有るメンバーは居なかった。日本人はマジメである。
・ ヨットメンバーはすぐに世界中のメンバーと仲良くコミニケーションできる。我々もバーミューダチームとは親交を深め、日本での再会・ゴルフを約束した(実現度は?)。
・ ヨットマンというだけで、税関をはじめ皆親切に対応してくれる。ライフジャケットのボンベも見逃してくれた、これはやりすぎ、危ない。
メルボルンは清潔で、明るく、摩天楼があり、碁盤の目のようで交通も分かりやすく、好きな街の一つに入ってしまった。
・ 日本の冬を避け、オーストラリアで夏を過ごす、気の置けないアパートやコンドミニアムに滞在し、レンタカーを乗り回し、食べ歩き、または自炊。これは今後の自分への一つの回答、啓示に近いものであった。
・ この大会、来年はアカプルコ、再来年はサルジニア、出来ればサルジニアへは出場したいものだ、アカプルコでは場所柄会社が教養休暇をくれそうに無いので。
・ 桟橋に舫った船上へ携帯電話が掛かり、T君、部下へ指示を出している図はなかなか考えさせられるものがあった、便利と言えば便利だが、せっかくここまで来て・・・。
・ 全員、インターネットで毎日メールを確認、指示やリポートを毎夜受けとり、また出しているのも、便利と言えば言えるが、なかなか複雑な思いがする。
・ であるが、サラリーマンとしてはインターネットのお陰で、気楽に南半球と名古屋とでレースしながら遊びながら仕事が出来る、限定的にせよ、それはそれで、いい事であろうと思われる。
・ カモノハシ、やっとあえた。ほぼ真っ暗な水槽の住のほうで、意外と元気で水中をすごいスピードで円を描き泳いでいた。自分としては内心、滅びの哀れさを期待していたようで、カモハシ君元気がよすぎて、拍子抜けと言った感じ。でも感激。
・ などなど、いけなかったメンバーには本当に申しわけないが、素晴らしかった。ぜひ、アカプルコ、できればサルジニアへは是非チャレンジしてもらいたい。また、付いてきますので。よろしく。


※写真  レース風景 相当に荒れた海面に注目ください