【特別短編】Abstract for ”Space Concept-Sept.11.2001   

honest152006-03-16

〔前書き〕
2001年9月14日、NYの世界貿易センタービル破壊の3日後、
S氏は、以下のショートショートを書き留めていた。
映画ミュンヘンを見た後、その事を思い起こした。
以下は、彼の作品をご好意により転載させていただきます。
          
Abstract for "Space Concept-Sept.11.2001" 
砂漠の国に生まれた彼は、風や光を受けて刻々と姿を変える砂丘や砂漠の上に広がる蒼穹,夜ともなれば満天を埋め尽くす星々に啓示を受け、幼い頃から独自の美意識を育んできた。つまり、シンプルかつ一瞬たりとも同じ姿ではありえない瞬間の美と、永遠・無限とも思われる美の一致…そんな美を潜在意識の中でいつも追求しつづけるような…。


 長じて祖国の空軍士官となった彼は、卓越したパイロットであると同時に冷静な戦略家としての評価を高めていく。
パリで開催される国際航空ショーに若くして派遣され、各国軍用機の情報収集に当たるようになったのも、彼がいかに軍上層部に信頼されているかを示すものであった。


パリでの日々、任務の傍ら美術館や博物館に通い、美への感性を磨いていった。
20年ほど前のある日、彼はとあるギャラリーに展示された1点の作品の前で、電撃に打たれたように立ちつくす。
その作品はルチオ・フォンタナの「空間概念#1(Space Concept #1)」であった。
カンバスをかみそりのように鋭利な刃物で切り裂く…それは平面絵画の概念を思いがけぬ(しかもシンプルな)方法で打ち砕くものであり、刃物をカンバスに走らせる一瞬を永遠の美に凍結するものとして、彼の美意識とぴったり一致したのだった。
一度はフォンタナの作品に魅せられ、深く共鳴したものの、すぐにそれは大きな失望とフォンタナに対する哀れみ、あるいは憎悪の念に変わっていった。すなわち“切り裂く”という一瞬の美を、愚かにも作品シリーズとして何度も繰り返すことによって単なるひとつの技法に貶めてしまった、という点で。


今から5年前、彼はある極秘作戦の幹部メンバーとなる。
この作戦はアメリカ本土における大規模テロを目的とするものであった。
その内容は、アメリカのシンボル…政治のシンボルであるホワイトハウス、軍事力のシンボルであるペンタゴン、経済力のシンボルである世界貿易センタービル…の同時破壊という破天荒なものである。
年をかけて綿密な作戦計画が立案された。
2年をかけてそのフィジビリティ(実行可能性)が研究され、さらに1年をかけてシミュレーションとトレーニングが重ねられ、2001年9月11日早朝がXデーと決定された。


2001年9月11日0858、彼はハイジャックに成功し、世界貿易センタービル南棟 
への攻撃針路を飛ぶユナイテド航空・ボーイング767旅客機の操縦席にいた。
メンバーは彼に敬意を払い、北棟突入を果たす1番機奪取チームへの参加を勧めたのだが、彼は15分遅れで南棟を攻撃する2番機チームを自ら望んだ。
突入60秒前。快晴。初秋のさわやかな朝。大気は水晶のように澄みわたり、眼下には真っ青な大西洋。ゆくて遥か遠くの海上にぽつんと小さく自由の女神。その向こうにはイーストリバーとハドソン川に挟まれたマンハッタン島の摩天楼群。ミニチュアのようなWTC北棟の上部から白煙が噴き出しているのが遠目にもくっきりと見て取れる。
繰り返し繰り返し某国秘密キャンプで繰り返してきたシミュレーションそのままだ。
彼の心は機外の大気のように澄みわたり、何の動揺もみられない。
攻撃チームの誰にも自分の本心を見せたことはないのだが、彼は敬虔なイスラム教徒でも、反アメリカ主義者でも、まして狂信的なテロ賛美者でも、決してなかったのだ。


彼は宇宙主義者とでもいうか、政治も経済も、さらには人類の文明や地球の歴史まで、時空間を宇宙的尺度で眺め、思考する傾向が強かった。したがって、50年とか100年の単位で起こる事どもとその結果に対しては殆ど関心を示さない。
要は、人類200万年の歩みや、ましてひとりの人間の数十年の生涯など、宇宙的尺度からすれば無に等しい…とはいえ、生を受け、現実に存在している以上、彼にとっては自分の人生の自己充足こそが最大の関心事ではあったのだ。


この作戦計画のアウトラインが出来たとき、すでに彼は自分の目的をテロリズムとはまったく異なる次元に置いていた。そう、彼はWTCビルを巨大なカンバスに、突入するボーイング767旅客機を研ぎ澄ました三日月刀(彼の祖国の伝統的な武器。アラブの象徴でもある)に見たて、彼なりの、ただ1回の、壮大な「空間概念」を創作するつもりだったのだ。


突入10秒前。彼は水平飛行していた旅客機を大きく左に傾ける。カンバス(WTC南棟)をさっくりと斜めに切り裂くために。
突入5秒前。時速700㎞で飛行する重量130トンの物体と、ジェット燃料46キロリットルがビルに与える破壊効果は、作戦チームに加わった専門家達が精確に計算し、予測していた。膨大な運動エネルギーが凄まじい熱エネルギーに変わり、ジェット燃料の誘爆を引き起こす。超高温と物理的衝撃による破壊効果が相乗的に作用し、突入階を中心にビルの鉄骨を破壊する。その結果、ビル全体が自重崩壊を起すはずだと…。


彼が2番機を選んだのは、自分の創作する「空間概念」が映像として記録され、
世界中の人びとに鑑賞されることを望んだからに他ならない。
1番機突入から15分後。これなら偶然に頼ることなく、彼の創作行為は
TVはじめ様々な記録媒体に映像として確実に捉えられるに違いない。


突入3秒前。カンバス(WTCビル南棟)が視野一杯に迫ってくる。彼は軽く機体をスライドさせる。あたかも刃渡り55mの巨大な三日月刀を振り下ろすかのように。
突入2秒前。彼の脳裏を、凄惨なテロ史ではなく静謐な美術史に名を残したかった、という思いがちらりとよぎる。
突入。そして、消滅。