広島の原爆ドームを見に行きました。 ①
高校の修学旅行以来のドーム。
駅に降り立つと、町が大きく見えた。110万もいる。
チェックインして、すぐに原爆ドームへ。
市民球場の横にドームが。手前がオフィスビル。
同じ日に、ユネスコの連中が来てて、
”負の世界遺産”の現状チェックをしたらしい。
40階建てのマンションを建てる計画があったり、野球場跡地開発の話があったり、
原爆ドームは、地域活性化との狭間で小さくなっている。
被爆後61年を経た今も、この存在感は、凄い。
きちんと守り抜かねばならない。
フェンスに囲まれてはいるけど、手の届く所に、破壊された残骸が凛と建っている。
外国の人や、地方から来たと思われる人々が、建物の周りで、黙々と佇んでいた。
落ち葉を踏んで橋を渡る。
紅葉してる対岸の公園から見る原爆ドームは、良く見る絵葉書になっていた。
慰霊碑に着いた。クロアチアの大使の献花があった。
アジア系の声が聞こえる。白人のバックパッカーカップルも。
平和資料館に着く。50円の入館料。安すぎる。
最初の展示コーナーは、殆どパネル。写真は時たま。
原爆が投下される前の広島と被爆後の広島の出来事がたんたんと書かれている。
友人によると、広島は町も破壊されたけど、広島文化も破壊された、との事。
61年たって、昔からあった文化は復興していないらしい。
被爆後3日で、市電が走り、街の復興に向けての、市民のエネルギーは賞賛もの。
ただ被爆者の安否確認、病気診断、治療は直後の敗戦で、迷走が続いたようだ。
10年たって、白血病になったり、ガンになったり、放射能の後遺症発生は、
手探り状態。
ノーモア原爆の運動も、一枚岩にならず、分裂していった。
国の対応も、腰が引けたり、役人対応になったりしてきた。
この展示場も、それほど悲惨さをだしていない。
むしろおとなしすぎると思われる。
パネルに説明しある文字の言外の意を汲み取らないと、本当の所はわからない。
それでも、被爆にあった服、時計、日誌、瓦礫をみていき、所々ある写真を見ると、
原爆の恐ろしさが体に染み込んでくる。
核武装論を述べる政治家も、マスコミも、北朝鮮も、ブッシュも、
タウンミーティングも、この地で自らの考えのスタートをするといい。
3年ほど前の企画で、当時の絵を再現してくださいという呼びかけに、
多数の絵が集まった。
当時10歳のひとが、70歳位で描いた絵。
子供が描いても、大人が描いても同じようなタッチになるのは、どうしてだろう?
愛国心という言葉が、最近良く使われている。
言葉そのものは、取り立てて問題はない。
どう使われるかを皆が心配してる。
この広島にたって考えると、原爆の恐ろしさ、長期間続く後遺症への恐怖、
勝とうが負けようが戦争の悲惨さが、体で感じられる。
広島の人だけでなく、ユネスコの連中に守られるだけでなく、
地球を愛する日本人として、地球破壊の行為を断絶する心を持つ事が
本当の愛国心ではなかろうか?