【特別寄稿】 カウボーイの珈琲

honest152006-12-02

●私には書けないエッセイが送られてきました。以下お読みください。


ぼくが小学生〜中学生の頃は幸運な事に映画の黄金期とぴったり時期が重なっている。日本は経済の高度成長期に差し掛かっていたものの、大衆娯楽の王座にはまだどっかり映画が君臨していた時代だったのだ。
当時住んでいたあたりにも、徒歩圏内に和・洋の二番、三番館が合計4館ほどあった。こういった時代と環境が幸い(災い?)し、映画は手当たり次第に観たものだ。ぼくは子ども時分から何となく洋画が好きで、歴史もの、ロマンスもの、西部劇、冒険もの、スパイもの、戦争もの、教育もの、コメディにミュージカル…何でもござれと観まくった。どんなジャンルが好きという年齢でもなかったし、映像情報なんて映画以外にはない時代、いわば映画館はぼくにとっては巨大な情報端末でもあったのだ。

上映を告げるベルが鳴る。上映中の禁煙を求めるアナウンス(これが守られた例は知らない)。緞帳が上がり、カーテンが左右に開き、正に“銀幕”といった風情でスクリーンが現れる。館内の照明が落ち、まずはムービートーン・ニュースが世界の動きを伝えてくれる。インドシナ戦争朝鮮戦争エリザベス女王戴冠式などの映像はかく小学生のぼくにインプットされ、いまだ脳裏に鮮やかなのだ。洋画にはつきもののキスシーンになると、場内のあちこちで咳払いが聞こえたり、急にタバコの煙が上がったり、そんな雰囲気までもが昨日の事のように甦る。1973年夏、パリ・シャンゼリゼの映画館で“ラスト・タンゴ・イン・パリ”を観た時にも同様の現象が起き、オ・ラ・ラ!というつぶやきも聞こえたりして、「お、さすがのフランス人にも刺激が強いのか」と、これはちょっと可笑しかった。ちょうどシャンゼリゼの反対側の建物には“エマニエル夫人”の予告看板が懸かり、凱旋門寄りの館では“燃えよドラゴン”が封切られ、いつも行列が出来ていたっけ…。

さて、本題に入らねば。子どもの頃に観た夥しい映画の中で、アメリカ映画では西部劇がかなりのウエイトを占めている。“帰らざる河”のマリリン・モンローにうっとりと熱を上げたのが小学5,6年生の頃のこと。40代半ばにビデオを見て、全く同じ症状に。女性に関しては結構正しい鑑賞眼を持ったガキでもあったようですね。
西部劇では銃撃シーンと同様、野営シーンがとりわけぼくは好きだった。焚き火にかざしたフライパンでベーコンを料理するゲーリー・クーパーの横顔などは、逞しくも哀愁を帯びた西部男のロマンを見事に物語っていたものだった。こういった場面に不可欠なのが焚き火の傍らに置かれたブリキ製の珈琲ポット。「珈琲豆をフライパンで炒り、バンダナにくるんで石の上に置く。これを拳銃の台尻で叩いて細かく砕き、ポットにぶち込む。沸騰したらポットを火から適度に離し、珈琲の粉が底に沈むのを待つ」のが西部男の珈琲の正しい作法であると、後に何かの本で教わった。

いつか自分でもやってみようと、さしあたり必要なモノだけは揃えてあるのだが、馬や鞍、ライフル(ウインチェスターM73が望ましい)も、となると、これはかなり大ゴトだ。