岐阜大学に地域科学部という面白い学部がある

honest152007-09-30

前から興味があった岐阜大学の地域科学部。
やっと、そこの公開講座に参加できた。
テーマは「戦争と平和
先々週の土曜から始まったが、葬儀とかで
昨日が始めての参加。


大体岐阜大学に入るのも初めて。
構内は、さすがに広い。
自分が通った大学は、キャンパスなんて呼べなかった。
ここは、広いし、緑も花も、格好よい図書館もある。
車でも、中に入れたけど、場所がわからない。
多少地図は欲しいな。
でも、自転車に乗った女子学生に、話しかけ、場所を優しく教えて貰ったから、いいか。


公開講座は、戦争と平和をテーマにしてた。
いいテーマだと思うけど、何故地域科学部なんだろう、とふと思った。
地域科学部というくらいだから、格差社会になってしまった地域が、
どう生き残っていくか、という研究をしてるかと思ったけど、違うのかな?


今回の講座の生徒は、63人。
まあ自分と似たりよったりの男女が多数派。
高校生も参加してると司会は言ってたけど、今回は見えず。
文化センターが、似たりよったりの層で仕方がないと思うが、
こういった大学では、若い人と年輩者といった混合生徒がいいと思う。


昨日の講座は、二つ。
「ウオーゲーム:情報管理社会における戦争の正常化と美化」
これは、岐阜大学に来て13年目のアメリカのジョン・ラッセル先生の講座。
もう一つは、「原民喜訳 ”ガリバー旅行記” を読む」
内田勝という45歳の先生。


前者の講座が、文化人類学の先生らしく、面白い分析をしてた。
戦争の遂行者達は、戦争を神話化したり、賛美したりして、正当化してる。
それは、「言葉」「映像というイメージ」「虐待を正当化する拷問」
「実際に遊ぶ道具とするオモチャごっこ
という4つのゲーム化した状態を作り出してる、と。
確かに、かっては、戦争の悲惨さを写真、映像で見て、戦争の悲惨さの確認をしてた。
今は、戦争の被害、殺された状態が、そのまま出てこない。
戦争を他人事、他所の出来事といったゲーム感覚で紹介する事によって、
戦争の怖さを消してしまっていて、戦争を知らない若者達が、戦争を美化する
危険性が出てきている。


自衛隊サモアへ行くようになって、フィギュアとか、オモチャに自衛隊
戦車とか、飛行機が出てきたそうだ。
小泉、安部といった右寄りの政権も、そういった状況を作りだしてきたのだろう。


戦争の正常化、美化のためへの布石が、どんどん進められてるのに、
戦争の醜さ、悲惨さ、怖さを、どう次世代に伝えるという努力は、
ある意味では、パターン化してる。
アートの視点、文化の視点も取り入れたり多様な伝え方が必要では、ないかと思って
ラッセル先生にも、疑問を提起してみた。
先生も又違った視点での戦争を捉えてくれるのを期待してる。