「komomo」に日本を見た。

honest152008-05-09

写真家デビューした荻野NAO之君
世界同時発売という「komomo」を
やっと手に入れた。
名古屋駅前の三省堂では、無くなっており
栄の旭屋で見つかった。
英語版が出た事は知ってたが、
日本版も本屋で見た、という新婚さんに聞いて、
本屋で実際売ってるのを買いたい、と探してた。


彼の写真展で、komomoちゃんに出会ってるけど、
写真集で、手に取って見ると、又違った趣がある。
彼が、何故komomoちゃんを撮ろうとしたかも、書かれている。
まえがきに、「花傳」の女将小糸さんが、彼からのメールを
受け取ったのは、1998年だった、とある。
会ってみて、彼が撮ろうとしてるのは、被写体の”心”だと。
彼は、その頃まだ大学生。
komomoちゃんも、まだ親の赴任地北京にいた、という。
彼女も、まだ舞妓さんになった訳でなく、彼の直感で、
彼女を追いかけ始める。
彼女に失いかけた日本を見たのかもしれない。


彼女は、北京から日本に来て、舞妓になる修業を重ねていく。
15歳。
この年齢で、舞妓に何を見たのだろうか?
直感と、理性と、日本人というDNAが、彼女を辛い修業を
乗り越えさせていく。
そのあたりは、komomoちゃんに密着した彼の写真が生き生きと
表している。
普通の少女が、お化粧を学び、着物の着付け、芸事を修業していく。
5年半の舞妓の間に、季節ごとに色々な催しがある。
それぞれの催しが意味があり、その催しで、舞妓として、
人間としてもまれていく様も、写真を通して伝わってくる。


彼女は、ここで悩む。
舞妓で、卒業するんだ、と。
それでも悩み、考え、芸妓になる決心をする。
そこまでの彼女の心の動きが、写真を通して伝わってくる。
少女が日本の美しさを知る大人の女に成長してゆく。
心に問いかけてくるような写真。


写真家荻野君と、芸妓komomoは、二人とも日本の文化を大切にしたい、
と思ってる。
二人の幼少の頃、外国で暮らした事での心の揺らぎが、
日本文化を知りたい、大切にしたい、という気持ちになったのかもしれない。
是非、「komomo」を手に取って、ご覧下さい。
出版社は、講談社インターナショナル