ひめゆりの塔へ。

honest152009-04-29

那覇で一泊して、夕方の飛行機まで時間がある。
首里城へ行くメンバーと別れて、一人ひめゆりの塔へ。
糸満までのバスから見える風景は、日頃よく見る店が多い。
内地化がすすんでいるのか?
糸満バスターミナルも人がいない。
皆観光バスか、タクシーで行くようだ。
ひめゆりの塔へ着くと、団体が多い。
一人で来てる人は少ない。
団体に混じって説明を聞く。


洞穴の中に100名程いたという。
アメリカ兵に見つけられ、出て来いと投降を呼びかけられた。
戦中教育の中で、1兵となるまで戦えと教えられた学徒達は、
米兵の対応も恐怖に感じ、洞穴から出る事もなく、
最後はガス弾を投げ込まれた。


平和祈念資料館に入る。
修学旅行の生徒達が多い。
同じ年頃の生徒が、看護活動をしながら、戦争の悲惨さだけでなく、
将校、兵隊の醜さも感じとれただろうか。
20年6月には、沖縄司令官は、指揮を放棄した。
”これからは、一人一人で判断して行動するように”と言って自決した。
たまらんね。これは。
戦中教育を鵜呑みにしてた生徒は、どう行動すべきはわからない。
残るも地獄、出るも地獄。
看護した負傷兵も常軌を逸してた部分もあり、狂気の世界に入ると、
何が正しいか、わからなくなる。
それでも一部の先生が、”とにかく生き延びろ!”と叫んだ。
この言葉は、生徒に生きる気持ちを持たせたと思う。


生き延びた生徒の証言集が展示されている。
原爆ドームで見た子供達の描いた絵。
ベルリンのユダヤ博物館で見た厖大な金型(犠牲者)。
沖縄では、証言集。
生き残った人は伝えねばならない。
死んだ人には伝える事が出来ない。
自分の町、岐阜も空襲を受けたけど、町の中では戦争が風化してる。
それぞれの町がきちんと伝えていかねばならない。


生徒達がどう感じるか?
先生もどう教え、議論するか。
戦中時代の間違った、偏った教育だと、戦争はさらに悲惨になる。
どの組織のトップにたつ人は、本当に常識と倫理感が求められる。
今の政治家にそれはないから、一部の経済界のトップにも倫理感がない。
そんな人には、教育を語る資格はない。


沖縄にはまだ不発弾、隠れ爆弾が多数あるという。
那覇国際通りは、賑やかで華やかで、活気に満ちている。
でも米軍もいる。
矛盾に満ちた沖縄。