知覧へ。こんな事考えた人を許してはいけない。

honest152011-04-15

今回の鹿児島は、同窓生に会うのも目的だったが、
この知覧の特攻平和会館を訪れるのも大きな目的だった。
半ば観光地化しているけれど、やはりここには戦争の悲惨、過ちが
厳然として存在してた。


一方通行の特攻という作戦を立てた参謀、実行に踏み切った軍部、
とても許せない。[
特攻機を模した飛行機の展示、練習機の展示、遺品、遺影が展示されて
いるけど、圧倒的に心を打たれるのは、遺書。
この時代、戦争反対とか、飛ぶのは嫌だとか書ける状況ではなかった。
死地に飛び立つその時まで、国に楯突く遺書は書けなかっただろう。
場合によると、検閲さえあったかも知れない。
それでも、言葉の行間に、人間としての無念さが綴られていた。

撃沈、命中させるといったお上が喜ぶ言葉も多かった。
親、兄弟にたいする御礼の別れの言葉も多かった。
圧倒的に母上様あてが多かった。
許婚あての遺書には、私を忘れてください。
過去の小事にかまわないで下さい、と連綿と彼女への慮りが続き、
最後に貴女に会いたい、で結ばれていた。
彼女はどうしたんだろう?


同窓生達は、声もなく、涙して、じっくり見ていた。
敗戦後の民主主義教育を受けた最初の世代として、
こんな洗脳教育での特攻という作戦を実施した日本国のDNAも
持ってるかもしれない一員として、時々過ちを犯し勝ちな
国にも、きちんとした目と考えを発言していかないといけない。
今起こってしまった原発対応も、この特攻隊を考えたのと、
同じ潮流にある、と強く感じてる。


遺書は、4500点もあった。

その中で心の中から伝わってきた歌があった。
 「咲くもよし 散るはなほよし わかざくら」
 「咲くときの花のかずにわ入らねども
         散るにはもれぬ我身なりけり」