【東京散策①】靖国神社へ、初めて行く。

honest152011-12-11

大学のクラス忘年会で、東京へ。
久しぶりに一泊して、東京散策。
とりあえずの目的地は、靖国神社
今年は、ベトナムのクチトンネル、鹿児島の知覧特攻隊、
アウシュビッツの収容所跡地へ行った。
9条の会にも出てみた。
このところの日本のリーダー達の余りの酷さは、目に余る。
この流れの先に、危惧してる事がある。
ふにゃふにゃに飽きてきた日本人が、強いリーダーシップを求める事。
第一次世界大戦後のドイツが、厭世観の中で、左翼を叩き、ユダヤを叩き、
間違ったナショナリストを鼓舞して、あっという間に狂気の中へ。
大阪の橋下旋風は、間違うとそちらの方向へ向かうかも。


靖国は、行きたくない場所。
A級戦犯を祀る場所は、認められない。
ただいかずして批判していても始まらないので、やっと靖国神社へ。
大きな銀杏並木が、ゆったりと参拝者を迎えている。
歩いてると、インドの判事の像がある。
A級戦犯全員に無罪と記した判事を称えていた。
遊就館」に入ると、天皇と武の歴史から、日本を描いていた。
「私は忘れない」という映画は、ナレーションも情緒的。
気になったのは、”どうせ亡国するなら、一兵となるまで戦って
亡国となろう。戦わずでは、誇りを持てない亡国となる。”
こんなリーダーの下では、[日本人は全員死んでしまう。


日清戦争日露戦争第一次大戦の勝利も、欧米の植民地政策に
抵抗して、アジアの各国のために戦ったとある。
アジアのために戦ったのなら、何故侵略したのか。
欧米列強の手法を真似たのだろう?
太平洋戦争に入る前にも、散々交渉した。
石油禁輸といった経済制裁で、戦いの火蓋を切らざるを得なかった。
と言いながら、当時資源の備蓄を進めており、石油は24ヶ月分あった。
(ということは、戦争も何とか2年以内で終わらせたかった。)
アメリカの罠にはまって真珠湾攻撃に至った。
そういった面は、あるけど、罠にはまってはいけない。


戦争の末期の展示では、準備不足、訓練されてない兵隊、足りない
兵糧、敵情報の不足といった負けにいたった原因も、少しは
展示しては、ある。
ほぼ軍部が、負けを覚悟して、特攻隊戦法を取り始めた展示では、
知覧と全然違う気持ちが湧き上がってきた。
知覧でも、特攻に向かう隊員が、”お母さん、敵を撃墜してきます”
と手紙に書いてるが、その手紙の裏側にある心情が伝わってきた。
靖国では、伝わってこない。
余りに、英霊として、兵士を描きすぎてるからだろう。
死んだ後に英霊として祀るなら、何故死なないように、全力を
あげなかったのか、


ただこの靖国神社に来ると、日本は正当に戦争をはじめた。
誇りを失わずに戦った。
戦争を始めたことは、間違っていなかった。
という路線。
若い人達もきていたが、現在の日本の不甲斐なさを感じてる人には、
この靖国は、心地よいかもしれない。
その心地よさが、一番危険だという思いを強く持った。