3月11日に思う”温故知新”

一年前の今日自分は、ホーチミンから台北への飛行機の中にいた。
ベトナム戦争の抵抗の拠点クチトンネルに行ったり、
枯れ草作戦の被害を記録を見たりして、戦争の酷さに目を覆っていた。
それなのに、ベトナムの若者は、戦争の事を話題にせず、
マネーに興味を持ってるように思えた。
年輩者ほど、戦争の醜さ、怖さを知らないかもしれない。


日本に帰って、震災、津波原発爆発と続く東北大震災に言葉を失った。
震災直後には、お祭りが中止になり、スポーツ、音楽イベントも
中止とか延期になった。
直後にチャリティバザーをやろうと立ち上がった家人にも
自粛モードでの反応が多かった。それでも多くの人が協力、参加した。
外国人アーティストの立ち上がりは、早かった。
世界では、様々な災害が起こっており、アーティストの持つ
影響力を良く知ってるようだ。
その人達の行動を見て、様子見してたミュージシャン、スポーツ選手が
立ち上がり、マスコミも報道し、応援するようになった。


この一年の間に、我々は何を学んだろうか?
政府トップレベルのレベルの低さ。
中央官僚の非力。
東京電力の無責任さ。
地震予知能力のなさ、伝達手段の未熟さ。
大学、研究所の知識の狭さ。
対岸の火事の如き住民のエゴ。
等等。


大きな被害をもたらす自然災害と人災(戦争など)を最小限に食い止める
ために出来ることを考えてみた。
政治家のレベルの低さは、語るに落ちるのでここでは触れない。
まず自然災害に対しての対応。
 古文書を改めて紐解き、それぞれの地域で起こった自然災害を
 詳しく著し、地震予知研究者達への適切な知見とする。
人災(特に原発)に対して。
 原発の最大の問題は、使用済み核燃料の保存である。
 この問題が解決できない限り、原発のないエネルギーを考える。
 大学、研究者、官僚、企業は、ここに英知を結集すべきである。


東京電力、官僚が原発推進してきた責任は、きちんと取って貰いたい。
ただ瓦礫処理は、きちんと検査した物であれば、全国民の問題にしたい。
研究者達が、新しいエネルギー技術を見つけるまでの間、
ソーラーハウスに出来る家は、その設置をし、
農業地域は、ソーラーと小規模水力発電の設置推進したりして、
少しでも自家利用の電力を賄いたい。


自分達のライフスタイルも、この際変える必要がある。
ほうっておくと高くなる電気代、ガソリン代を少しでも減らす
生活スタイルに変えていく。
江戸時代には、リサイクルも徹底されていた。
敗戦後の生活体験も知ってる世代は、まだまだ多い。
自分も含めて、古き世代は、戦争、その後の復興、オイルショック
バブル崩壊といった様々な時代を生き抜いてきた。
こういった古きを温ねる学習、教育、報道を基本にしたい。
と同時に、若い世代はそういったベースを基に、新しい技術、
ライフスタイルを創造してほしい。